12~13世紀、ヨーロッパに近い北アフリカではじまった奴隷貿易。その波はガーナにも押し寄せ、1654年、スウェーデンによりケープコーストに奴隷積み出しのための要塞が築かれた。その後要塞はイギリスに支配され、以来1833年に奴隷貿易が廃止されるまで奴隷貿易の拠点として使用された。その後は植民地事務所や象牙・金などの貿易の拠点となり、 1876年にアクラに遷都されるまでは首都とされていた。

ギニア湾の美しい海岸沿いに位置するケープコースト。明るい周囲の雰囲気とは対照的に、暗い雰囲気を持つ建物がケープコースト要塞だ。白と青に塗られた建物のペンキは既に剥げ、かなりの年代を感じさせる。この建物の内部では、生々しい当時の様子を見ることができる。 1,500名の男と500名の女性が詰め込まれていた、狭い収容所。脱走奴隷が水や食べ物を全く与えられず、死ぬまで閉じ込められた独房。

奴隷積み出しの船着場へと続く、唯一の出口。塀の上並ぶ砲台。出産コスト削減のために、妊婦が放り投げられた海。死んだ白人たちが丁重に埋葬された中庭。しかしその何万倍もの黒人たちの墓が作られることはなかった。悪魔のような看守達が神に祈る教会。全てがショッキングであり、白人が黒人を人間として考えていなかったことが、リアルに浮かぶ。この要塞では、霊感のある人間は気持ちが悪くなるといわれる。
